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2011年05月20日

写真に寄せられたコメント(玻璃丸)

 昨年度に旧大津公会堂で行なった、「大津百町思い出写真館」に展示した、谷本勇さんの写真に対して、ご覧いただいた方々から寄せられた思い出や感想を紹介します。

 今回ご紹介するのは観光船「玻璃丸(はり丸)」です。
写真に寄せられたコメント(玻璃丸)
3989 玻璃丸(浜大津にて) 昭和35年12月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵

 玻璃丸は、昭和26年(1951)就航。戦前の『京阪丸』や『みどり丸』にかわって建造された、大型観光船です。総トン数634トン、優美な船型と流線型の操舵室が人気をあつめ、主に竹生島への「島めぐり」や夜間の「たそがれ・ショウボート」に就航しました。昭和56年(1981)まで現役でした。
 戦後の琵琶湖を代表する船であったせいか、ご覧いただいた方々の思い出が、たくさん寄せられました。

 以下、コメントをご紹介します。会場では展示できなかった玻璃丸の写真と共にお楽しみください。

写真に寄せられたコメント(玻璃丸)
4359 玻璃丸 昭和32年9月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵

◇はり丸は、子ども時代のシンボルでした。竹生島へ連れてもらうのが嬉しくて…。(60歳代・女性)
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◇大きな船を指して「あれがはり丸や」と父が教えてくれました。(30歳代・男性)
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◇はり丸、子どもの頃の憧れ船でした。(高島市の出身で、小学校の窓から毎日のように竹生島へ行き、大津に帰るはり丸の姿を眺めていたものです。)中1の時、最後の航海(湖?)に乗船することが出来、嬉しかったことを覚えています。びわ湖の船といえば「はり丸」!その優美な姿は永遠に!!(40歳代・男性)
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 ⇒いずれも、玻璃丸が当時の子どもたちにとってのシンボルだったことが分かるコメントです。

写真に寄せられたコメント(玻璃丸)
5002 玻璃丸 昭和40年10月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵

◇玻璃丸には結局一度も乗船したことはありませんでした。いつでも乗れると思いながら機を逸した次第です。(70歳代・男性)
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◇はり丸は近くに住んでいたので、何時でも乗船出来ると思いつつ、一度も乗船せず残念に思っています。(60歳代・女性)
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 →玻璃丸に乗るために訪れる遠くからの観光客の方々とは違って、これらのコメントからは、地元の方々の観光船に対する感覚が読み取れます。近くにありすぎる存在なのかもしれませんね。

写真に寄せられたコメント(玻璃丸)
4379 花火大会とはり丸 昭和28年8月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵

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◇はり丸のショーボートへ祖母・祖父と行った日がよみがえります。(50歳台・女性)
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◇戦後の大型観光船「はり丸」「びわ湖の女王」として31年間君臨。過去3回乗船し、昭和46年8月末に「たそがれショウボート」昭和55年8月中旬頃に「竹生島めぐり」と忘れようにも忘れられない思い出がよみがえってきます。(50歳代・男性)
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◇初めて家族ではり丸に乗って琵琶湖一周しました。今から思えば、唯一の家族旅行でした。船から見た景色は今も忘れません。(60歳代・男性)
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◇小学校6年生の時に一度だけ乗りました。竹生島までの長い道中に、カウンタックの「らくやき」に色を付けて、焼いてもらったのを覚えています。長い間宝物にしていました。(40歳代・男性)
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◇「サヨナラ玻璃丸」のイベントに行ったのは大学生の頃。船上でキャンペーンを兼ねたサントリーのカクテルを飲みました。その頃流行した?ソルティドッグ。また、浜大津港前、今auのある所?には、当時流行った暗~いタイプの喫茶がありました。(40歳代・女性)
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 ⇒玻璃丸に乗船された方々の思い出です。一緒に乗った家族との楽しい思い出が甦るのが写真の魅力ですね。

写真に寄せられたコメント(玻璃丸)
5051 大津港 昭和32年3月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵

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◇「玻璃丸」の造船・進水式が行われたのが当時の「天虎」飛行場、現在の「西武大津」のあたりにありました。水上機の飛行練習が行なわれていましたが、戦後この地で造船進水が行われました。叔父が「玻璃丸」の船内の配線にたずさわりましたので進水式に招待された思い出があります。(76歳・男性)
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 ⇒玻璃丸の建造当時の様子を教えていただきました。『琵琶湖汽船100年史』によると、昭和25年10月に、天虎飛行場跡において、日立造船桜島工場の手により起工、翌26年3月19日進水したとあります。コメントしていただいた方は、この進水式に出席されたことになります。
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 最後に、琵琶湖の観光船に関する写真をご覧いただいて終わりにしたいと思います。

写真に寄せられたコメント(玻璃丸)
4325 スキー船の乗船風景 昭和35年1月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
 上の写真は、スキー船の乗船風景です。スキー船は浜大津を夜に出航し、船内で宿泊、翌日の朝にマキノなどのスキー場到着するコースです。京阪神を夜に出発しても間に合い、スキーの時間を十分に取れるため、京阪神から多くのスキー客が利用しました。昭和初期から企画されたスキー船は、戦中の中断後、戦後もこの頃までは続けられていました。写真は浜大津での乗船風景です。
 以下、コメントをご覧ください。
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◇京都から京津線~スキー船~バスと乗り継いで、スキーに行ったと父が話していました。スキー船が港に着くのは午前4時~5時ごろで、夜明けまで寝ていてもよかったそうです。(30歳代・男性)
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◇うちの(実家の)蔵には母が使用していた木のスキー、皮革のスキーブーツがありますよ。(40歳代・女性)
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 以上、写真展に寄せられたコメントの中から、玻璃丸を中心にご紹介しました。
 このブログをご覧いただいた皆様方にも、もしかすると玻璃丸をはじめ、琵琶湖の観光船に関する思い出があるのではないでしょうか?その際には、是非ともコメント欄に書き込んでください。 (きづ)

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