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2011年06月08日

写真に寄せられたコメント(百町の風景)

昨年度、旧大津公会堂で行なった「大津百町思い出写真館」に展示した写真に対して、ご覧いただいた方々から寄せられた思い出や感想を紹介しています。

最後にご紹介するのは、百町内の風景写真に寄せられたコメントです。


0004 浜大津付近の航空写真 昭和30年代 大津市歴史博物館蔵
浜大津の観光船乗り場や浜大津駅を南方向から写したもの。港には玻璃丸などの観光船が停泊しています。この頃の浜大津には、今津方面へと走る江若鉄道浜大津駅(昭和44年に廃線)があり、京阪電鉄への乗り換え客などで賑わっていた。写真左のホームは京阪電鉄京津線の浜大津駅。写真右には石坂線の乗り場があり、駅が2ヶ所に分かれていました。現在の浜大津駅になったのは、昭和56年(1981)のこと。京津線浜大津駅の場所には、現在では明日都浜大津が建っている。
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◇坂本方面から京都へ出る時、京津線のホームへ走った事を思い出しました。(50歳代・男性)
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◇普段遊びにきている浜大津と違いすぎていて驚きました。分かるのは大津港と駅だけであとはさっぱりわからないです。多分僕が昭和30年代にいったらまよいます。(10歳代・男性)



0164 公会堂周辺 昭和35年頃 大津市歴史博物館蔵
正面の塔のある建物が、旧橋本町時代の大津市役所。向かって左側の洋館が朝日生命、右側が第一勧業銀行です。市役所の向こう側には、埋め立て整備以前の浜大津の湖岸が見えています。当時は、旧大津公会堂以外にも多くの近代建築物が立ち並んでいたことが分かります。
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◇父が日本勧業銀行に勤めていて、当時宿直当番があり父といっしょに宿泊したことがあります。(70歳代・男性)
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◇大津市役所の時計塔に登り12時を忘れてサイレンの音の大きさに驚きました。しばらく音が聞こえなったことを思い出しました。また中央小学校帰りに執務中の机の下にもぐりこんでかくれんぼをしたこともあります。その当時は何も言われなかったおおらかな時代でした。なつかしーい!!(63歳・男性)


3902 浜町遠望 昭和34年10月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
浜町方面の遠望です。写真右手に見える大きな建物は、滋賀銀行本店の旧社屋。その右手の巨大なテントは、埋め立て直後の湖岸で興行をおこなっていた、有田サーカスのものです。
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◇有田サーカス。小学生4年の時にオバサンに連れてもらいました。(61歳・男性)
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◇西側からみた湖南の景色、三上山(近江富士)がみえますが山々の風景は今と変わっていませんね。(50歳代・男性)


3687 紺屋ケ関通(現:中央大通) 昭和30年代 大津市歴史博物館蔵
拡張前の中央大通りの姿です。通りの奥の行き止まりが京町通りにあたり、その向こうには華階寺のイチョウの木が見えます。中央大通りの建設(大津駅前区画整理事業)がスタートしたのは昭和42年のことです。
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◇道路の幅やビルの高さが全く変わっていて驚きました。しかし、奥に見えるイチョウの木は、そのままあって、このままずっと大津のシンボルであってほしいと思います。(20歳代・女性)


4067 国鉄大津駅 昭和38年8月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
国鉄大津駅。駅前には多くの自動車が停まっています。写真の駅舎は大正10年、大津-京都間の線路変更によって設置された初代駅舎。昭和50年に現在の大津駅舎に建て替えられるまで使用され、現駅舎のやや西寄りに建っていました。
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◇この駅舎でよく時間マチをしました。改札口の前は待合室で長いベンチがありました。(60歳代・男性)
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◇懐かしい駅舎です。学生の頃、また毎日通勤で利用しました。昭和50年になくなったとは思えません。もっともっと前のような気がしました。(70歳代・男性)


4554 国鉄大津駅前 昭和33年頃 大津市歴史博物館蔵
大津駅前の朝の出勤風景です。現在のバス乗り場あたりから、北西方向に向かって撮影されています。
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◇大津駅前にあるパチンコ「イセヤ」懐かしいですね。この2、3軒隣が本屋さんでしたね。(71歳・男性)
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◇昭和33年は自宅にテレビがなく、相撲放送のある日は友達とラーメン一杯で2時間程、店のテレビを見ていました。(店の人は嫌な顔をしていました(60歳代・男性)


4219 ガスタンクと打出浜 昭和41年1月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
本宮付近から見た、打出浜の遠望。手前には、石場にあったガスタンクが見えます。ガスタンクは、現在の大津市民病院付属看護学校の位置にありました。また、打出浜の湖岸には、少しずつ建物が建ち始めているのが見えます。
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◇昭和35~40年ごろはこの形でなく筒とう形でした。ガスの差引によって上ったり下りしていました。(76歳・男性)



4994 雪の武徳殿 昭和38年1月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
旧滋賀県体育文化館です。建物は、昭和12年に大日本武徳会滋賀県支部の武徳殿として建てられました。鉄筋コンクリート造の近代和風建築で、歌舞伎座等を手掛けた岡田信一郎事務所出身の三井道男が設計した建物です。
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◇武徳殿は小学校の遊び場でとてもなつかしいです。廻りをオニゴッコやかくれんぼでほとんど毎日遊んでいました。左の建物は県の施設で高校卒業後始めて勤めた場所(1F)です。(70歳代・女性)
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◇武徳殿でスーパー(チェーンと言ってました)の売り出しがあり母と石場から歩いてよく行っていました。母の友人夫婦が管理人をしていました。(60歳代・女性)
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◇昭和22年か23年に、私は浅井山に(今の本宮名神インター近く)住んでいて中央幼稚園に通っていました。遠すぎていつも休んでばかりでしたが、遠足が武徳殿までというので、よろこんで行き武徳殿の階段のところにすわって弁当をたべたのですが、すきやきの汁がこぼれ、泣きながら先生にたべさせてもらいました。(68歳・女性)


5021 大津幼稚園前 昭和31年10月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
大津幼稚園前から南北に通じる細い道を撮影した写真です。手前に写っているコンクリートの壁は、今も残っています。
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◇昔はパンといえば太陽堂でした。当時はバタークリームしかなくて、ケーキも少々油こかったのを覚えています。(60歳代・女性)
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◇太陽堂のパン屋さんが学校にパンの作り方を子供に教えてもらって、帰って来てから子供と作ったのがきっかけで今も家でパンを作りつづけています。(59歳・女性)
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◇近所の風景です。なつかしいですが、角がパン屋とは記憶していませんでした。(64歳・男性)

 7回にわたって、昨年の写真展の会場に寄せられた、みなさんのコメントをご紹介してきました。
 今回は、写真だけでなく、ご覧いただいた方々の思い出も一緒に展示するという、期間中に成長していく展覧会として企画しました。始まる前は、みなさんのコメントが頂戴できるかどうか、とても不安でしたが、幸い皆様には数多くのコメントを頂戴する事ができ、想像以上の展覧会へと成長してくれました。改めて、コメントいただいた方々にお礼申し上げます。
 試行錯誤で行なった企画ではありましたが、博物館の学芸員が書く、堅苦しい!?解説文では伝わらない、当時の状況がコメントを通じてよみがえったこととと思います。また、事前の調査では分からなかった場所や事柄もたくさんお教えいただきました。
 今年の秋の展覧会でも、この試みは形を変えながら続けていきたいと、只今企画を温めています。

 また、今回ご紹介させていただいた写真についても、これで終わりでなく、今度はブログ上で思い出やコメントを集めていきたいと考えています。過去に掲載した写真も含めて、みなさんの思い出も是非、コメントとしてお寄せください。(その際には、写真の下に記されている番号をお書きください。)
 古い写真とコメントから、失われていく風景や思い出を、皆さんと一緒に少しでも後世に残していきましょう!  (きづ)  


Posted by otsu-rekihaku at 11:30Comments(0)大津百町思い出写真館

2011年06月02日

写真に寄せられたコメント(百町の出来事)

昨年度に旧大津公会堂で行なった、「大津百町思い出写真館」に展示した写真に対して、ご覧いただいた方々から寄せられた思い出や感想を紹介しています。

 今回ご紹介するのは、百町内で行なわれたイベントを中心にご紹介します。


4289 大津駅のさよなら看板 昭和50年1月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
現在地にある大津駅は、大正10年(1921)8月、東海道線の大津-京都間の経路が変更になったことに伴って設置されました。正式には昭和50年(1975)4月に現在の大津駅舎へと変更されましたが、写真の看板によると、1月末には新駅舎が供用されていたようです。
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◇ 最終日に入場券を買いに行きました。今でも持っています。(昭和50年代・男性)


4937 大津祭 昭和41年10月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
大津祭巡行の様子。場所は電車通りの丸屋町商店街入り口です。平成2年までは、午前の巡行はここまでで、昼休憩の間に曳山が展示されていました。
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◇ 西王母山があった。大きくてはくりょくがあった。自分は今孔明祈水山にのっています。(9歳・男性)
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◇ひき山の車輪はすごく大きくて、からくりもすごかったです。ぼくは、ひき山に乗っていて、これからも続けて乗りたいです。(11歳・男性)
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◇ぼくは今年大津祭の山車にのっていたので、昔と今ののりごこちはちがうのかと思いました。(9歳・男性)


4940 大津祭 昭和41年10月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
大津祭巡行の様子。京町通の巡行の様子を撮影したもの。写っているのは、西行桜狸山。手前に写る少女のよそ行きの服装に、当時のハレの日の服装が現れています。
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◇ 私の42才の時、西行桜狸山の曳山責任者に付いて次世代の責任者として見習中でした。(86歳・男性)


4324 スキー船の乗船風景 昭和35年1月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
スキー船は浜大津を夜に出航し、船内で宿泊、翌日の朝にマキノなどのスキー場到着するもの。京阪神を夜に出発しても間に合い、スキーの時間を十分に取れるため、京阪神から多くのスキー客が利用した。昭和初期から企画されたスキー船は、戦中の中断後、戦後もこの頃までは続けられていた。写真は浜大津での乗船風景。
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◇ 浜大津港の思い出、夜間船で牧野に6:00について牧野スキー場までソリをかついで歩きました。大変頑張った小学校生徒でした。引率の先生も大変だったでしょう。(67歳・男性)


4130 東京オリンピックの聖火リレー 昭和39年9月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
昭和39年に行なわれた東京オリンピックの聖火は、日本国内をリレーしました。大津にやってきたのは、9月29日から30日にかけてで、京都から逢坂山を越えて橋本町の大津市役所、滋賀県庁までをリレーして一泊。翌日に鈴鹿峠を越えて三重県へと引き継がれました。写真は、大津市役所前通過の様子。沿道には多くの人々が詰め掛けているのが見えます。右は橋本町時代の大津市役所、左は日本勧業銀行(現:みずほ銀行)大津支店の建物。現在の浜町交差点付近にあたります。
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◇膳所高校の近くを聖火ランナーが通り、授業中にもかかわらず少しだけ見ました。体育祭が近く、運動場で練習中の他のクラスが見せてもらえず、次の体育の授業をボイコットして問題となり生徒会と先生方との話し合い?が持たれたことが思い出されます。(60歳代・女性)
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◇ 父がランナーを務めたと聞かされましたが、当時の様子はこのようだったのですね。昭和63年生まれの私が、こうして写真でみることができるのは、とても幸いなことだと思います。(20歳代女性)
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◇東京オリンピックの聖火リレーが滋賀県でも行われたのはすごいなあと思いました。また日本でオリンピックがあったら滋賀県でも聖火リレーをしてほしいです。(14歳・男性)


5916 疾走するアベベ 昭和37年7月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
びわ湖毎日マラソンで疾走するアベベの姿です。この年のコースは、161号を北上し、琵琶湖大橋を折り返すコースで、写真は雄琴で撮影されました。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◇私の住んでいた所です。くぬぎ並木、今もあります。アベベが、印象に残っています。なつかしい写真です。(78歳・女性)   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◇びわ湖毎日マラソンで、アベベが暑さで、水を頭からかぶっていたのを思い出します。宇佐美・瀬古選手を始め、名選手が走る姿を、なつかしく思い出しました。(56歳・男性)  


Posted by otsu-rekihaku at 11:49Comments(0)大津百町思い出写真館

2011年05月28日

写真に寄せられたコメント(百町の子どもたち)

昨年度に旧大津公会堂で行なった、「大津百町思い出写真館」に展示した、写真に対して、ご覧いただいた方々から寄せられた思い出や感想を紹介しています。

 今回ご紹介するのは、百町内の生活に関する写真の数々です。今回展示した写真は百町で生活する、昭和30~40年代子どもたちの姿を捉えた写真とそのコメントをご紹介します。


3892 八町通りで遊ぶ子ども達 昭和34年7月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
八町通り(国道161号)で遊ぶ子どもたちの様子です。みなさんは、子どもの頃どんな遊びをしていましたか?
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◇ 非常になつかしい思いがします。紙芝居の時代。メンコ。かんけり。クギさし。(68歳・男性)


3893 路上での遊び(布施屋町) 昭和34年7月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
布施屋町(滋賀労働局の南側)の通りを撮影した写真です。当時の道路は子どもたちにとっては遊び場だったことが分かります。
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◇ 布施屋町。写真の場所は私が住んでいた町内で入口から顔をのぞかせている子どもの、ほんの3軒ほど八町通り寄りです。向い側に旧の逢坂小学校が有りました。(71歳・男性)

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Posted by otsu-rekihaku at 17:11Comments(2)大津百町思い出写真館

2011年05月26日

写真寄せられたコメント(百町の生活)

 昨年度に旧大津公会堂で行なった、「大津百町思い出写真館」に展示した、写真に対して、ご覧いただいた方々から寄せられた思い出や感想を紹介しています。

 今回ご紹介するのは、百町内の生活に関する写真の数々です。今回展示した写真は昭和30~40年代の写真が多くを占めますが、この頃は大津に限らず、人々の生活スタイルが大きく変わった時期にあたります。写真やコメントからは、その変化がありありと伝わってくるようです。

まず最初は、この展覧会やブログの中で何度もご紹介した「肥桶を積んだリヤカー」の写真とコメントから見ていくことにしましょう。


4966 肥桶を積んだリヤカー 昭和35年2月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
荷車に積まれた桶の中身はし尿(下肥)。市街地のし尿は、このように集められ、周辺の村々の肥料として利用されました。写真は京阪電鉄島の関駅の踏切で撮影されたもので、桶は湖岸から船に積み替えられ運ばれました。
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◇下肥と引きかえに夏は西瓜や野菜、暮には餅米や小豆を頂きました。人の排泄物が貴重にされたのです。(77歳・男性)
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◇当時我家の肥えつぼが満たんになると汲取りに来られるのを待ちかねたものでした。(85歳・男性)
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◇大変なお仕事、御苦労様でした。この方達で、私達の汚物処理して頂き、有り難いです。天びんをかついで、汚物を落下しない様に気を遣いながら仕事されていたと思います。感謝です。(60歳代・女性)
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◇子供の頃よく見かけました。対岸の山田のお百姓さんが和船で紺屋関まで乗りつけ、大津の街々で肥をもらって帰り田んぼの肥料にされたのです。僕たちはそれをみて「山田帰りの肥こ舟」と言っていました。(71歳・男性)
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◇ 対岸の山田から肥くみのためこられましたが、集落により、どこの町内を汲むかが決まっており、大根などをお礼にもってこられたとの事。大津祭の時、肥をもらっている町の曳山を、このお百姓さんが曳かれたとの事です。(61歳・男性)
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◇大津市内で汲取ったし尿は大八車で浜に運び、和船で対岸の新浜・矢橋へ運搬されていたことを思い出しました。(67歳・男性)
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◇国鉄大津貨物支線(レール2本)と京阪電鉄石阪線(レール1本)の3線区間がなつかしい。膳所駅から浜大津までの貨物列車が設定されていた時間帯は京阪の石山寺行の電車は浜大津駅で到着まちのため長く停車していた。(60歳代・男性)
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◇ホームの筋向いに市立中央小学校の建物(講堂棟)と運動場が見えます。(60歳代・男性)

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Posted by otsu-rekihaku at 17:53Comments(0)大津百町思い出写真館

2011年05月25日

写真寄せられたコメント(湖岸の様子)

昨年度に旧大津公会堂で行なった、「大津百町思い出写真館」に展示した、写真に対して、ご覧いただいた方々から寄せられた思い出や感想を紹介しています。

今回ご紹介するのは、当時埋め立てが進んでいた湖岸の様子にまつわる写真です。


3840 湖岸道路での散歩 昭和33年4月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵


3841 湖岸道路での散歩 昭和33年4月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
 現在の湖岸道路の打出浜交差点付近の様子。湖岸道路は全通前で、まだ舗装されていません。写真の奥に広がる琵琶湖は、現在では埋め立てられており、滋賀県警察署や琵琶湖文化館が建っています。
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◇びわ湖の美しさ!うば車のなつかしいこと、子供の表情が生きています。本当によき昔です。開発の波にのみこまれてしまった面も多いですが…。便利になったものです。(未記入)  続きを読む


Posted by otsu-rekihaku at 12:13Comments(1)大津百町思い出写真館