2011年10月27日
江若鉄道のイベントです!!
大津百町大写真展2011只今開催中です!!
今回は、写真展の会場にも使用させていただいてる、スカイプラザ浜大津のイベントをご紹介します。
スカイプラザ浜大津では、毎年この時期に鉄道に関する写真展や鉄道模型走行会を開催されています。3回目となる今年は、かつてスカイプラザが建つ浜大津から今津までを結んでいた「江若鉄道」にスポットをあてた催し物です。
江若鉄道は、昭和44年(1969)に廃線になりましたが、鉄道ファンだけでなく、沿線の方々に今もなお思い出として残っている鉄道です。今回の催しの注目点は、なんといっても江若鉄道の車両基地として使用された三井寺下駅(現在、ミニストップやキリン堂があるあたりにありました)の1/80のジオラマ模型です!!
当時の三井寺下駅を撮影した写真を元に制作された三井寺下駅の風景は、写真だけでは味わえない懐かしさを感じていただけると思います。
オープンは週末から。是非お見逃しなく!!
浜大津懐かしの写真展&鉄道模型走行会
特別企画「回顧!江若鉄道」
【展示期間】
10月29日(土)~11月6日(日)
(鉄道模型走行会は10/29、30、11/3、5、6)
【展示内容】
・江若鉄道三井寺下駅:鉄道模型ジオラマ(1/80サイズ)
・HOゲージ大パノラマ鉄道模型運転(長さ8m、幅5m)
・映写「江若鉄道を訪ねる」
・昭和44年までの江若鉄道車両写真パネル(約50点)
【会 場】
スカイプラザ浜大津6階 リスニングルーム響、ロビー
【入場料】
無料(但し、鉄道模型走行会はお一人200円)
【主 催】
スカイプラザ浜大津
【協 力】
大津市歴史博物館、京阪電気鉄道(株)大津鉄道部
STMC滋賀鉄道模型愛好会
【参考写真】1833 石坂線浜大津駅 昭和12年3月 京阪電気鉄道株式会社蔵
【参考写真】1867 浜大津交差点 昭和18年 京阪電気鉄道株式会社蔵
今回は、写真展の会場にも使用させていただいてる、スカイプラザ浜大津のイベントをご紹介します。
スカイプラザ浜大津では、毎年この時期に鉄道に関する写真展や鉄道模型走行会を開催されています。3回目となる今年は、かつてスカイプラザが建つ浜大津から今津までを結んでいた「江若鉄道」にスポットをあてた催し物です。
江若鉄道は、昭和44年(1969)に廃線になりましたが、鉄道ファンだけでなく、沿線の方々に今もなお思い出として残っている鉄道です。今回の催しの注目点は、なんといっても江若鉄道の車両基地として使用された三井寺下駅(現在、ミニストップやキリン堂があるあたりにありました)の1/80のジオラマ模型です!!
当時の三井寺下駅を撮影した写真を元に制作された三井寺下駅の風景は、写真だけでは味わえない懐かしさを感じていただけると思います。
オープンは週末から。是非お見逃しなく!!
浜大津懐かしの写真展&鉄道模型走行会
特別企画「回顧!江若鉄道」
【展示期間】
10月29日(土)~11月6日(日)
(鉄道模型走行会は10/29、30、11/3、5、6)
【展示内容】
・江若鉄道三井寺下駅:鉄道模型ジオラマ(1/80サイズ)
・HOゲージ大パノラマ鉄道模型運転(長さ8m、幅5m)
・映写「江若鉄道を訪ねる」
・昭和44年までの江若鉄道車両写真パネル(約50点)
【会 場】
スカイプラザ浜大津6階 リスニングルーム響、ロビー
【入場料】
無料(但し、鉄道模型走行会はお一人200円)
【主 催】
スカイプラザ浜大津
【協 力】
大津市歴史博物館、京阪電気鉄道(株)大津鉄道部
STMC滋賀鉄道模型愛好会
【参考写真】1833 石坂線浜大津駅 昭和12年3月 京阪電気鉄道株式会社蔵
【参考写真】1867 浜大津交差点 昭和18年 京阪電気鉄道株式会社蔵
Posted by otsu-rekihaku at 13:01│Comments(2)
│2011日記
この記事へのコメント
こんにちは。
江若写真展、大変に興味深く拝見しました。
浜大津の往年の賑わいがとてもよく伝わってきて、
江若を知らない私でも、何か懐かしい気持ちになりました。
で、ふと疑問に思ったのですが、江若の浜大津駅舎の写真で、S12に撮影されているものは、駅への入り口に階段がなく、S18に撮影されたものは階段がついているのです。
6年の間に改築されたとしても、わざわざ前の道路を掘り下げたのでしょうかね?
京阪の線路もあることから、そんなに部分的に掘り下げる訳にはいかなかったでしょうから、かなり前後手前からなだらかに掘り下げられたんでしょうね。
江若写真展、大変に興味深く拝見しました。
浜大津の往年の賑わいがとてもよく伝わってきて、
江若を知らない私でも、何か懐かしい気持ちになりました。
で、ふと疑問に思ったのですが、江若の浜大津駅舎の写真で、S12に撮影されているものは、駅への入り口に階段がなく、S18に撮影されたものは階段がついているのです。
6年の間に改築されたとしても、わざわざ前の道路を掘り下げたのでしょうかね?
京阪の線路もあることから、そんなに部分的に掘り下げる訳にはいかなかったでしょうから、かなり前後手前からなだらかに掘り下げられたんでしょうね。
Posted by lege at 2011年11月02日 17:20
コメントありがとうございます。
昭和12年と昭和18年の写真を記事の本文中に参考写真として、アップしました。18年の写真はやや分かりにくいですが、廃線までの景色と同様に、階段がありますね。
この期間に何があったのか、調べてみましたが、可能性として考えられるのは、京阪浜大津駅の変化です。昭和14年(1939)6月20日に、京津線と石坂線の連絡工事が竣工し、2つの線路がつながりました。ご存知の方は、現在の明日都浜大津方向へ線路が進んでいたイメージがあると思いますが、それは戦後、船入堀が埋め立てらた後の姿で、この工事では、現在の線路と同様、交差点の東側に取り付けられたようです。おそらくこの工事の過程で、掘り下げられたというのが、可能性として一番高いのではないかと思います。
昭和12年の写真を見てみると、当初は京阪の線路から江若の駅舎にかけて、地面がやや盛り上がっていたように見えます(京阪の乗り場が掘り下げられていることなど)。京阪の連絡工事にともなって、なんらかの必要性があり、高低差を修正した結果、江若浜大津駅に階段が設置された。これが、今ある情報から推測できる仮説です。
あくまで推測ですので、当時の事をご存知の方がいらっしゃれば、お教えいただければ幸いです。
ちなみに、自分自身は2枚の写真を見比べて、その違いに全く気が付きませんでした。お教えいただき、ありがとうございます。
昭和12年と昭和18年の写真を記事の本文中に参考写真として、アップしました。18年の写真はやや分かりにくいですが、廃線までの景色と同様に、階段がありますね。
この期間に何があったのか、調べてみましたが、可能性として考えられるのは、京阪浜大津駅の変化です。昭和14年(1939)6月20日に、京津線と石坂線の連絡工事が竣工し、2つの線路がつながりました。ご存知の方は、現在の明日都浜大津方向へ線路が進んでいたイメージがあると思いますが、それは戦後、船入堀が埋め立てらた後の姿で、この工事では、現在の線路と同様、交差点の東側に取り付けられたようです。おそらくこの工事の過程で、掘り下げられたというのが、可能性として一番高いのではないかと思います。
昭和12年の写真を見てみると、当初は京阪の線路から江若の駅舎にかけて、地面がやや盛り上がっていたように見えます(京阪の乗り場が掘り下げられていることなど)。京阪の連絡工事にともなって、なんらかの必要性があり、高低差を修正した結果、江若浜大津駅に階段が設置された。これが、今ある情報から推測できる仮説です。
あくまで推測ですので、当時の事をご存知の方がいらっしゃれば、お教えいただければ幸いです。
ちなみに、自分自身は2枚の写真を見比べて、その違いに全く気が付きませんでした。お教えいただき、ありがとうございます。
Posted by otsu-rekihaku at 2011年11月03日 09:47