3803 紺屋関港 昭和31年2月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
紺屋関港の様子。現在の大津市民会館南側の道路にあたります。浜大津から石場までの湖岸は、明治期の鉄道開通によって線路が湖岸線となったが、旧湖南町の一角は、大正2年に湖南汽船によって埋め立てられました。写真はその埋立時の湖岸にあたり、湖岸には桟橋とともに汽船が停泊しているのが見えます。現在、大津市民会館が建つ部分は、昭和46年の埋め立てで、写真撮影時はまだ琵琶湖でした。
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◇ 小学生の頃、よく魚つりに来た場所です。桟橋から湖に落ちて、近くの帯背の人に助けてもらった事があります。命びろいをしました。助けていただいた人(だれか忘れました)に感謝します。(60歳代・男性)
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◇紺屋関港では美空ひばりやエンダソ・アチャコが撮影に来たことがありました。また、港の閉鎖後は「波よけ(通称)」の内側で、競艇選手がモーターボートの練習をしていたことがありました。(60歳代・男性)
3938 湖岸での釣り風景 昭和35年8月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
湖岸の埋立地での一コマです。浜大津から石場にかけての湖岸だと思われますが、はっきりとした場所はわかりません。現在と同じく、釣りを楽しむ人が多くいますが、当時はなにが釣れたのでしょうか?
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◇半袖姿は夏かな。春にはもろこがたくさん釣れました。「オイ モロコ キヨッタゼ!」 いつもはあぶない注意していた母親も、もろこは釣ってきていいといいました。(70歳代・男性)
4488 滋賀県立琵琶湖文化館 昭和39年5月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
3971 湖岸での釣り風景 昭和35年8月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
滋賀県立琵琶湖文化館のオープンの当日に撮影された写真です。お父さんが構えているのは、カメラではなく8mmカメラ。この頃には各家庭にも普及していました。
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◇文化館の入口に入った所に、大きな「コイ」がたくさん泳いでいました。そして上へ登って、景色を見るのが楽しみでした。(50歳代・女性)
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◇子どもの小さかった頃、連れてよくきました。あの時大きな沢山鯉が泳いでいましたが、あれはどこへ行きましたのでしょうね?なつかしい思い出です。(70歳代・女性)
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◇建物の中に入ったところに鯉のエサが売っていて、あげることができました。小さな紙コップに入っていたように思います。分量を調整していたのか、夕方に行くと売り切れていることもありました。展望台には、ジュースの販売機がありました。(40歳代・男性)
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◇水族館もそしてプールもありました。プールは屋内なので日焼けしないでよいといっていました。(80歳代・女性)
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◇水族館は下にプールがあり弟、妹を連れて、泳いでいました。レストランもありました。(60歳代・女性)
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◇地下のプールはよく行きました。1F正面の鯉の鮮やかな色彩も懐かしい思い出です。屋上でアイスクリームを食べて一時の楽しみでした。(50歳代・女性)
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◇琵琶湖文化館の地下にプールがあったことを思い出しました。太陽があたらないので、時々1階にあがって体をあたためていました。(50歳代・男性)
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ここはどこですか。でもとてもきれいですね。わたしは、こんなとこがいったことがないのでこんなとこに行きたいです。(7歳・女性)
4510 琵琶湖文化館から西を望む 昭和41年4月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
当時の湖岸の様子がはっきりと分かります。手前のドックや船。市街の様子など、多くの情報を得ることが出来る写真です。
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◇湖岸から波よけまで泳げたら、小学生では一人前。水はきれいで、魚もたくさんいた。ボテジャコ。(70歳代・男性)
4511 琵琶湖文化館から東を望む 昭和41年5月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
当時の湖岸の様子がはっきりと分かります。手前のドックや船。市街の様子など、多くの情報を得ることが出来る写真です。
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◇現在住んでいるマンションは、水の中です。埋立地の上のマンション、快適な日々です。(70歳代・女性)
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◇石場のガスタンクがなつかしい。近くに住んでいたのでいつもながめていた。びわこ文化館も開館当時からよく行きました。みんな当時の建物がなくなっていくのが淋しい。(60歳代・女性)
3966 水上飛行機と琵琶湖文化館 昭和36年 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
4864 水上飛行機乗り場 昭和36年5月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
昭和36年(1961)から昭和47年まで、営業していた水上飛行機。関西航空(現:かんこう)が運行しており、浜大津を起点に、「ひえい」と「ひら」の2基の飛行機が、琵琶湖や京都などの遊覧飛行を行なっていました。写真は乗り場の様子で、場所は現在の琵琶湖ホテル近辺(浜町)にあたります。
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◇この飛行機がバックのこの建物と一緒に学習帳(ノート)の表紙になっていたことがありました。S50~52位?小学校のクラスで話題になりました。(40歳代・男性)
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◇しばらくの間でしたが家の上を低空飛行でとても怖い思いをしました。(80歳代・女性)
4198 京阪レークセンター 昭和41年4月 谷本勇氏撮影・大津市歴史博物館蔵
京阪レークセンターは、現在の琵琶湖ホテルあたりにあったレジャー施設。琵琶湖観光の発着点である大津港に隣接し、遊覧用の水上飛行機も発着しており、湖と空を一体化した総合観光基地を目指して、昭和41年4月にオープンしました。写真は、レストハウスと駐車場。琵琶湖を望むパノラマプールは、同年7月のオープンです。
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◇昭和42年と43年の夏休み、レストハウス横パノラマプールで監視員のアルバイトをしていました。噴水の奥、琵琶湖から加山雄三が水上飛行機で若大将シリーズの撮影で飛びたっていきました。バイト時給80円、コロッケ1個5円の時代です。(61歳・男性)
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◇子供を連れてタコさんのプールもあり、私も若かったので一緒に入り水着姿懐かしく月日の早いのがアッという間で思い出します。大人のプールもあったと記憶しています。タコさんプールはS50年中ごろかなあ!(60歳代・女性)
今回は、琵琶湖岸の埋め立て地に関係する写真を中心に、写真とコメントをご紹介しました。みなさんの思い出も是非、コメントとしてお寄せください。その際には、写真の下に記されている番号をお書きいただければ、わかりやすいと思います。 (きづ)